躁鬱と私の生活は続くよ

双極性障害Ⅱ型と診断されてから何かが色々と変わった私の生活と自分のこと、そして日々思うことを徒然と。

一日をしっかりと噛みしめる気持ち

こんばんわ。
やっぱり昨日書いた記事は全く覚えてないものでした。玉子と鶏ってなんだ?と思って改めて…というか読者のつもりで読んでみた。
ふーん。だった。それしき。


さて本題!と思って本来書きたかった内容を書いたんだけど書いてたら結構長い感じになってしまったから、一旦下書きにしました。
なので今日のことでも…。

今日は朝ちゃんと起きたぜ!
父親が「なんだ便所掃除当番か?!(笑)」と罵ってきた。今時トイレ掃除を当番決めて社員一同でする会社あるのかな?まぁあるだろうな。
しかし、生憎トイレ掃除で起きたわけでない。
来週から会社に行くためのプレ生活。
とは言え、午前中もすることなくウトウトしてしまったが母が今日は外に連れ出してくれた。
免許の更新だったみたいで一緒について行く事に。
これ言うと母がどの講習を受けたかバレるが、
私が実際待ってる時間は2時間…。
ひまー!しかも更新センター寒いー!
どうしてああいう機関は必要以上に暗く、トイレも良いとは言いづらい施設。そして全館どこもかしこも寒いのだ。そりゃ税金で運営されてるからか。
でも私ならそういう市民に見える部分、触れる部分は気持ちの良い環境にしても良いような気もするのだけど。。
ま!とりあえず暖かい缶コーヒーを買って持ってきた本を読む。今やスーパースターのホシノゲンさんの蘇る変態。読んですぐにここは危険だということを感じた。もう声出して笑ってしまう。
ヒャッハー!不審者で逮捕されちまう。
でもおかげさまで楽しい2時間を堪能できた。
ありがとう。ゲンさん。Thanks for Mr.Gen!

そんなこんなで母親を待った2時間はあっと言う間に過ぎて、帰宅。
やっぱり外に出ると「私外出てる!出れるじゃん!」って気持ちになった 。
残りのプレ仕事生活はもう明日のみだけど、とりあえず朝起きてきちんと朝日を浴びることはとても大事なんだね。一般の人からしたら「は?まだまだ」と思えることでも、私なりに一日をしっかりと噛み締めた感覚を持つ事ができた日になった。
まずはそれができますように。
一歩一歩だね。

帰宅後も眠いに眠かったが、なんとか耐えた!
そして今。
もうそろそろ寝て良い時間だ。ボヤ〜っとする。
バカな私はこのボヤ〜と戦おうとしてしまう。
こっからいろんなことをしてしまおうという気持ちになり実行してしまう。ほんとうにバカだ。
今から、病院に提出用の生活リズム表と日記を書こうとおもう。意識フワフワのままの日記を先生はどう捉えるのだろうか(笑)

玉子と鶏問題

今、am1:57無意識にチョコバット食べてた。
アウトだった。
この行為自体、アウトだよ私。


鶏と玉子ってどっちが先かという話しあるじゃないですか。
そんなこと考えてたら無性に子供が欲しくなった。
さすがに妊娠は一人じゃ産めない。種がご入用。
欲しいなと思う種の主はいるんだけど。

出会って初めて子供が欲しいって思った人。
もとい、この人の子供が欲しい。
顔も…、背も私と同じくらい?、アル中だし、女大好きだし、趣味バカ。
なんていうかゴキブリ並みに「生」に満ち溢れているから。あと底抜けに明るく、真面目。
恐らく見てくれどうこうより、私の動物的本能が発動したのだと思う。
やっぱり♀は子孫を後世に繁栄させていくため、より強い♂を好むのと一緒の原理でしょう。
私はライオンや。
前の職場でのパートナーだったんだけど、夫婦漫才並みに息ピッタリで、ツーカーで物事が進む同士。
あの頃は嫌なこととかツライことがあっても朝から晩までずっっっと笑ってた。


でもなかなか上手くいかないもんだな!
妻帯者とか決まった人がいるわけでもないんだけどね!
ここに自分の自信のなさがドーンと壁を作るんだろうね。向こうも私の気持ちにぼんやり気づきながら、あくまでビジネスパートナーとしてと考えチャンスがめぐるとお互いに壁攻撃。
ぬりかべ対ぬりかべ。

そんなわけで種欲しい。
この人の種が欲しい。
ふと子供だけとの生活でも構わないから…とさえ思ってしまう時もある。
あの遺伝子、途絶えさせたらもったいない。。

そんなわけで、鶏と玉子はどっちが先かなのかを改めて考えてみる。
多分鶏だと思う。私は。
もしいたとすれば…神が動物を作ったとき鶏をこの世界に放ったと思う。そして鶏も本能として求愛とかして玉子を授かったんだと思う。

まぁそんな感じ。
もう夢と現実の間マックス。
読み返さぬまま公開!

ねむい

ねむい。

導入剤を飲むようになってから、
まぁすぐ寝ればいいんだけど、色々なことをやってしまうきらいがある。
日記かいたり。
飲む前に書けよって話しなんだけど。
このブログもそう。
そう、かなりフワフワとおねむな状態の中での出来事は翌日9割方記憶にない。

そして、ある日事件は起きた。
私の部屋には冷蔵庫があるのだが、
その時気に入っていたヨーグルトかなんかをしまっていた。
翌日起きたらゴミ箱に食べられた残骸が!
「私が寝てる間に食べるようなやつは、朝早起きの父親しかいない」と勝手に見立てをつけて、
父に「冷蔵庫開けた?」と。
「いや、そんなことしてない」と。
何回も他の家族まで巻き込んで事情聴取した。
結果「食べたのはkaoしかいない」となった。

そらそうだ。
そもそも誰かが入ってきたら私も起きるはずだ。

となると、本当に食べたのは私しかいない。
でも食べた記憶がまっったくない。
これほどまでにツライことはない。
ツライです…ツラ過ぎます……

せっかくの美味しい気持ちを夢か現実の間で
ウニャウニャと食する程もったいないことはない。
ショックは思いの外でかかった。
そんなわけで入眠導入剤を飲んだら美味しいものを食べるのは辞めよう!と心に誓ったが、
導入剤を飲んでからフワフワの状態になるとその誓いは瞬時に忘れ去られてしまう。

恐・ろ・し・い!


そんなわけで、寝たい。眠い。

しかしながら、まだやろうとしてることがある。
辞めればいいものの、
明日それを見た時に
「きっと妖精さん小人さんがやってくれたのだわ♡」と、嬉々とするはずであろう。

冬空は旨い

入眠導入剤が効いてるのにその峠を越えてしまい、
なんだか未だに起きてるam2:43。
ベランダに出て極寒の中、手をガチガチに震わせながら煙草を吸っている。旨い。

昨年1月の目標が禁煙だった。
20代からもうずっと片時も離さず相棒だった。
煙草とコーヒーとハイボールがあれば無敵。

それがふと、30代女の喫煙はなんだか格好悪いという気持ちが湧いた。
いや、実際痛そうな女性が
「わたすぃ〜大人の女〜オシャンティよねぇ(鼻から煙)」的な現場を見て辞めようと思ったわけなんだけど。
だから初めて禁煙してみようと思って取り掛かった。働いてないから節約にもなるしね。

幸い風邪で喉をやられてた当時、
煙草を吸うのが辛い上になかなか風邪も治らず(これは絶対煙草のせいだ!)と思い込み、いとも簡単に卒煙できた。
20代の時なんて風邪で喉が痛ければメンソールの強い煙草にして喉をスースーさせてれば何とかなるなんてバカげたことをしていた。
そして、いざ禁煙!と、かなり覚悟して挑んだが「こんな簡単にできてしまった!」と喜びを覚え歓喜した。

…それから半年。
資格のお勉強が始まった。
週3で10時から17時までみっちり生徒ライフ。
宿題もテストもあるしだんだんイライラしたり周りの生徒さんとの比較とかで焦ったり。
気づいたらコンビニに駆け込んでいた。
(絶対あのコンビニ店員、「あいつ禁煙失敗したか」とか思ってるに違いない)
1本吸ったらクラクラした。
久しぶりのヤニクラ。
そこからまた喫煙生活が始まってしまった。
とりあえず資格の試験が終わるまでと自分に言い聞かせ、年が明けたら辞める目標を掲げたが今に至る。
寒い中で吸う1本って冷たい空気が一緒にブレンドされてめちゃくちゃ気持ち良いのだよ。

嗚呼そんなことを言っていてはいけない。
どこかで見切りをつけなくては。
そもそも卒煙とはどのくらいの期間できていれば合格なのだろう?
半年はまだまだ未熟者なのか?

相棒とはもう合うことのないようにしなければ。
永遠のお別れまであと3箱御座います。

戦闘服!

これまでちょっと病気メイン、
出社拒否メインを書いてきたので、ちょっとパーソナリティな部分を。
これまで仕事をする時の服を買い集めることが大好きだった。
3枚のカードがすぐに限度額に達するのもそのせい。
交際費1、生活費2、洋服代7ですね。
VERYかOggiを主体に取り込んでおり、
このページのコーディネートそのまま一式を買ったことも幾度か。
上の雑誌でなんとなく察しがつく方もいるかも…しれないですが、そう!オフィス用に適したものしかないわけです。
ジャケット、インナー、ゆるシャツ、パンツ、ニット。
白黒グレー、ベージュ、キャメル、ネイビー、ロイヤルブルー、ペールブルーが主体。
ピンクのフワフワとか姫的要素を秘めたもの持ってなくて。
いかにもでしょう。
そんなこんなで困ることはオフと合コンとか。
過去に一度友人とお見合いパーティーに参戦した時、30対30で1分起きにローテーションして自己紹介していくやく。で、いいなと思った人ともう一度お話し。最終的に発表みたいなやつ。
その30人の男性と話していく中で、とある男性に「な、な、なんか面接されてるみたいです」と怖気づきながら言われたことは今でも忘れない。
というのもそのときも日曜にも関わらず、
ジャケットにパンツ、一応アクセでキラキラ感を出したつもりでしたが…面接かて!おい!
その後の発表のための着席時、私の前に男性は座らず余ってた男性はお菓子ドリンクコーナーで立ち見。
頼むから情けでもいいから座ってくれよ!(泣)
女に恥かかせる男なんて御免だぜ!

と帰り道の友人との反省会はそんな感じで飲んだくれでした。
仕事が私にとって「生」だったから、必然とそこに必要なものが集まる。
大層な人達とも仕事をしていくし、だんだんと買うものの値もあがっていく。

でも仕事をしていない今、完全なる私の戦闘服は寝間着かスウェットの一点勝負。

鬱ともなると服やオシャレ、自分に気にかけることも興味がわかなくなるイコール人にも会わなくなるというループでした。

服を買うのにいちばん大好きな春物が出始めてきている今、少しずつ戦闘服がほしいなーと思えてきている私。もちろん入るお金がないから買えないけど。また服を買うためには働かなきゃいけないですよね。うん。

カブトムシ生活

15時や16時頃、今の季節既に日も暮れ始めようとしている中モソモソと二度寝から目覚めて
暗い部屋でテレビの明かりを頼りに遅めの昼ごはんを食べる。それもカップラーメンや、昨夜に買っておいたパンやおにぎり。もはや早めの晩ご飯か。
カブトムシみたいな生活。

これって精神衛生上、絶対よろしくない!
でもやってるからこれの悪さが身に沁みてわかる。

なんでこんな生活なのか。
それは父親が「私が会社に行っている」と思っているから。
うちは自営業なんです。
自宅の目と鼻の先に父親の会社があるから、
昼休みやちょっとした休憩などでしょっちゅう家に帰ってくる。そこで鉢あったら…(怖)

あいにく私の部屋のドアは磨りガラスをあしらったもので微妙に明かりや音が漏れる。
父が煙草を吸いに2階のベランダにやってくる。
途中に私の部屋がある。
なのでドアに服をかけて光が極力漏れないようにしたり、色々と工夫したが今度は部屋が暗くなる一方。
心身における不健康一直線!

昨年に病気が発覚して、仕事とは一旦離れると決めた。けれどダラダラした生活も良くないと、資格を取ろうと思い週3でスクーリングすることにした。
なのでその頃は私が日中家にいることにも父は頷いていたが、
今は違う。
いたらいけない娘が家にいる…とわかれば、
その時、私は海に沈められているかもしれない。

父はとにかく暴君だ。絶対王政だ。
怖くてたまらない。
けれど私には直接怒らずに母を的にする。
とにかく父はこの病にとんと理解を示さない。
なんかわかってるようでわかっていない。
「だってお前ちゃんと仕事に行けていた時期があるじゃないか!?何年も」
大体こう言う。だからもう隠れるしかない。

幸いな事に母は理解がある。
というより、母は母で「パニック障害」と35年も
共に歩んできている。大先輩だ。パイセンだ。
病院に連れて行ってくれたのも母が通っている病院だった。
私が朝や夜に「ツラいー苦しいー」と行進したりその場をグルグル回って母に訴えるのだけど、
母は「そんなこと言っても私は何もしてあげれないの。私の方が苦しい!この世でいちばん私がツラい!」と、ツラい自慢を母子で繰り広げる。

子供の頃、母はよく寝ていた。
訂正、今でも寝ている。飼い猫並みに。
昔、仕事してる母を持つ友達にkaoちゃんのママは何してるの?と聞かれたら「寝てるー!」と答えてた。
母親とはみんなのごはんを作ることと寝るものだと思ってた。(母方の祖母と同居しており、掃除や洗濯は祖母がしていた)
なので物心つく頃まで、家族で遠くにおでかけすることはなかった。車以外の乗り物は大体一駅もしない頃にギブアップ。
車も高速に上がった瞬間辺りからギブアップ。
小さい頃にディズニーランドや海外に行った記憶もあるが、全部父と2人や妹含む3人が主流だった。

私も23くらいの時にパニック障害になった。
上京して仕事に就いて、初めての里帰り、休みを満喫してまた東京に向かう新幹線の中で初めて症状が現れた。いきなり目の前が真っ暗になって息もできず、あれは死を覚悟した。
東京に着かずに兎にも角にも一旦実家へリターンした。リターンする時の新幹線は何も起きなかった。
その次からもうダメ。もう無理。白旗。
仕事行きたくない病が発症。新幹線乗れません。
思えば、私の今の「出社拒否症」はこの頃からスタートしているのかもしれない。
(いや、もっと前だ…それは後日改めて)
何か異変を、自分が誰よりも大変ですよ!と伝われば許される…そんな生ぬるい、甘ったるい考えをしている。最低人間だ。

私のパニックはその仕事を辞めてから、数か月でなくなった。原因がハッキリしてたから。それを取っ払ったら消えていった。

その後、数年は健やかとは言えないかもしれないがそれなりに人間らしい普通の生活を送っていた。


…そして今。
冬は日の入りが早いから一段と早く暗くなって、部屋も本当に真っ暗。
そんな中で携帯の明かりとテレビの明かりだけを頼りに部屋でモソモソと生きている。
たまにテレビの明かりが強すぎて廊下に漏れるから、携帯明かりの生活もあるが。。

とにかく脱出したい 。この生活から回避したい。

図書館とか行けばいちばん良いのだけれど、
足が向かない、というか
朝仕事に行く時間に起きて父親にアリバイを作って、そこから仕事や図書館に行けず部屋で寝る。
変な時間に図書館とか外出しようとして父親にばったり出くわすのも怖い。
そしてモヤモヤを考えたくないから寝る。
そうこうして起きると夕方になっている。
あぁ今日もやっちまった。

いちばんわかる。
こんな生活がいつまで続くのか。
明日なら図書館に行けるかもしれない。
仕事までのモチベーションを作らないにしても、
図書館を目標にしてみよう。と、今日も昨日と同じ目標を立ててみる。
とりあえず朝、どこかに行ければGJ!

いつなら大丈夫なのか

本日もやってしまった。

「おはようございます、今日もまだ体調が優れず…すみませんがお休みさせて下さい」

そう、会社に行けなかった。
それもまだ出社1日のみの新しい転職先。
行けたのは1/5の初出社だけ。

無理なのか?
いや、私なら行ける。
でも動けない。
ここで止まったら…どうなっちゃうのさ。
辞めたらまたゼロから転職活動…。
好条件の揃った所で内定もらえる自信もない。
周りはまだ休め、無理しなくていいって言うけど。
お金もうないし。
初めてじゃない。これで何回目のお休みなのか?
これまでで何回そういうことをしてきたのか。
初めての緊張や不慣れなものから逃げ続けてる。
病気のせいにして。
そんな気がする。

自分と自分がぶつかって
休んでから7日、初めて思いっきり泣いた。

去年、少し調子が良かった時に受けた会社。
事務職とかきっちり定時残業なしといった仕事じゃなくて、自分の企画や調整で物事を回していく仕事。念願の正社員での仕事!
自分の裁量で仕事がしていけることが目標だった。
受かった時はテンションあがった。
この流れで今までの自分や病気の鬱々とした気分からも脱却できるんじゃないか?と期待もした。

ただ同時にプレッシャーや責任感や期待値がムクムクと大きくなって、入社2日前に体調を崩しSOS。会社から入社日を1月にしましょう。と提案されて…今に至る。
入社から一瞬解放された12月の数日間はすこぶる体調が良かった。現金すぎる。
結局行けないのはプレッシャーとか責任感とかそんなかっこいい言葉を並べて片付くものじゃない気がする。それは建前だ。むしろ盾後ろだ。
きっと本音は「ただ行きたくない」だけなのだ。
それは私が一番よく知っている。
過去に何社もそうやって逃げている。
受かっては初日に行かなかったり、
初日の昼休み後から「体調が…」と言って、辞めたり。初日に行っただけで知った気になってしまってもういいとか。
仕事を、働く事を、生活を舐めていた。
今でもそうかもしれない。
私の場合「逃げるは恥だが役に立たない」なのだ。

誰だって初日は緊張する、
慣れないことは疲れる。
それなのに私はそれを受け入れない。
体調が悪い、会社の○○が前職場と違っているからとか、いろんなものを言い訳に現実を認めようとしない。
いつだったら大丈夫なのか気になって仕方がない。
でも誰にもわからない。
今の私の任務はただ行くだけなのだ。
挨拶して、いろんな人の名前覚えるくらいなのだ。
会社もまだ入って1日の私にプロジェクトを任せようなんてしていない。

この拒否反応は双極性障害とは別物のような気がする。
私自身の私のみの病気。
病気でもないな。ただのわがまま。

これを読んで不快に思う方もいるかもしれない。
もっと苦しい思いをされている方もいるかもしれない。
でも私も苦しいです。


さて明日は行けるかな…